メッセージ

社長からの採用メッセージ

代表取締役 上田 英代

人とのご縁を大切に。
その想いが事業にも繋がり、
今があります。

代表取締役
上田 英代

創業は昭和31年と結構早いですね。創業時の旭運送についてお聞かせください。

初代(今の社長の義理の祖父・上田貞雄)社長は、昭和初期、当時増えつつある自転車やバイクの販売からスタートしたと聞いております。そして時代と共に自動車の整備工場へと移り変わっていったようです。

先々代(今の社長の義父・上田稔)は、 父(上田貞雄)の跡を継ぎ自転車の販売など行っておりましたが、当時300台もの自転車を購入しても全然部品が届かず、待てど暮らせど配達してもらえないことに業を煮やし、とうとう大阪までオート三輪で自ら受け取りに行ったと聞いております。

その時先代は、そんな運輸事情では今後の但馬地域が発展しない。と「自分が運んでやる!」と考えたわけです。初代の社長の大反対も押し切って、トラック3台から旭運送はスタートしました。

とても歴史ある旭運送でこれまで「大切にされてきたこと」は何だと思われますか?

「人」と「ご縁」です。
とにかく「みな仲がいい」です。どの事業所もそれぞれ特徴はありますが、支店長を中心に仲がいいですね。新しい方が入ってきたらフォローする。それは誰かに言われて・・というよりは、新しい方をほっておけないからだと思います。

支店によっては「班長制度」があり、相談しやすい体制・誰に聞けばいいかが、わかりやすい体制にはなってはいますが、それよりも誰もが面倒みがよく、自然と「協力体制」が整っているのではないでしょうか。困っている人を見たら、助ける・・当たり前のことかも知れませんが、創業者から大切にしてきたことです。

そんな「人」のご縁から事業も拡がっていきました。
創業時 荷物をなかなか取りに来られないお客様がいて、どうしようかと困っていたら、「保管料もらって預かってみたら」とのアドバイスから倉庫業になっていったと聞いています。先に倉庫を建てて営業に行くパターンではなく、お客様の必要に迫られて事業領域が拡がっていきました。今の姫路営業所での「物流加工事業」も倉庫業から3PLになって、加工事業へと。本当に有難いことです。

今後の旭運送について教えてください

これまでの業界のイメージとしては「トラック野郎」的な男の世界であったり、「一匹オオカミ」的な個人プレーのような仕事と思われているかも知れません。確かに今もそんな面がなくなったわけではありませんが、「旭運送」の名前が入ったトラックに乗っていることで、「ドライバーが会社の代表」という気持ちで乗ってくれていると思います。
そうして先人が大切につないできて下さったからこそ今があると感謝しています。
だからこそわれわれがもっと良い会社に、つまり安心して勤められる会社にしていかなければと身が引き締まる思いです。

最近は嬉しいことに女性ドライバーもいます。
古くは会社のトイレも男女一緒の営業所もありましたが、今では完全に分かれていますし、シャワー室も徐々に完備されています。今では各拠点(本社、姫路、氷上、福知山)で飲み会や趣味の会も催されています。おかげさまで仕事が増えていっているので、ご縁のある方にお会いして仲間を増やしていきたいと考えています。

どうか気軽にお電話いただくか、営業所をお訪ねください。